VSソード―スズカの場合―    時狭間、と呼ばれること次元の狭間は我らフソウの神々にとっても少々不可思議なものだ。  まばらに点在する建築物と数え切れぬ木々。人の手が及んでいない山野は神が住むにはちょうどいいものだが、不思議と所有者はいない。たまにアマテラス大神やイナリ大神に似た気配を感じるが、信仰があるとも感じられない。境界の曖昧さもあってなかなか面白い場所だった。  ――ここはススキ之原、と呼ばれる地。数多の景観の中でも吾の知る大地にほど近い場所だ。頬を撫ぜる秋風は地平の彼方まで広がるススキを撫ぜ、天に輝く星が下界を照らす。俳人ならばこの静寂の中で句のひとつでも読むだろう。 「あー、なんで俺此処に来ちまったんだろ?」  静寂を破る若い男の声が響く。無粋、とは言うまい。この地において剣と剣を交わしたとあらば、自然と縁は繋がれる。  現れたその男。名はソードといい、クレヴィスと言う街でケビイシ――彼の地に合わせるならば自警団か。とにかくそれをやっている剣士だ。  なぜこんな所に来てしまったのか。そう疑問に思うようなことを言ってはいるが、その目的は実にわかりやすい。『願い』が、その胸中にあるがゆえに。  ――以前と同じ、再びの邂逅を。あの小童はそれを半ば無意識に願っていたのかもしれない。  願われていたのであれば、応えねばなるまい? 「知れたことを。実は期待しているこそ、ここに来たのではないか?」  この世界と共に在ることをやめた吾の気配に鋭敏に気づき、ソードが顔を上げる。 「あー、やっぱりそういうことか。そりゃあ、期待もするだろうよ。なんせ滅多に会えないような強者と会えたんだぜ?」  ずいぶんと嬉しそうにヤツは語る。少しは骨のあるヤツだと感じていたが、なかなか面白いバカであるらしい。証拠など、吾を見て武者震いなどしているからわかるものだ。  ゲンジの将、ヤギュウのバカ息子、どこぞのうどん屋。この手の反応をする奴は腕が立つとも青さは抜けないものだ。だからこそイジり甲斐がある。 「今回も偶然かね。それとも、あんたのことだから来るとわかったかな」 「さて、どちらだと思う?だが、そんなことは重要ではないだろう」  口端が思わず緩む。しばし歩みを進め、吾は無造作に刀を抜く。 「コレが、欲しいんだろう」  わかりきった問。だが、その問に対する答えはそれなりに吾を楽しませるものだった。 「そうとも。俺は強い奴と剣を交えたいんだ」  剣士として、ただただ高みを目指してみたい。禄の為に剣を振るうのではなく、ただ自らを鍛え抜くがゆえに剣を振るう。それ自体はそう難しいことではない……だが、神に刃を向けることさえするとは。 「せっかくだし。全力の本気を見せてくれよ。俺も、全力で本気を出す」  ほう?と思わぬ言葉に間抜けな顔をしてしまっただろうか。それ程までに、全力を要求するなど久方ぶりに聞いたのだ。命知らずか、ただのバカか。それとも…… 「クク、ハハハハハハッ!全力を見せろとは、面白いことを言う!」  笑う、笑う、笑う。吾に全力を要求するならば、相応の用意があるはずだ。面白い、面白い、面白い!箸が転がるのも面白い年頃なんてガラじゃないが、その無謀さは実に面白い! 「その不遜な挑戦、神として受けてやろう」  当然、受けるに決まっている。吾が端末とはいえ武芸の神であり、技が些かも衰えてはいないということはすでに知っていることだろう。そして、神の力を受けるということが何を意味するかも、だ。どこまで抗えるか、見せてもらおうではないか。 「だがゆめ忘れるな、我が前に立つならば死なねばならんということを」  『ママゴト』ではないならば、この小童はひとりの『糧』として見るのみだ。だったら、殺すだけのことだ。 「あぁ、やれるだけやってやるさ。とはいえ、それで何度も剣を交えたらきっととんでもねぇことになるから、繰り出すのは一撃のみってルールで。あんたや俺なら、それで充分”わかる”だろ」  その見えない殺意さえ笑みを浮かべながら応えるソード。そしてさらに一つ条件を出す。それは一撃のみの勝負。全てを乗せた一撃でもって勝負をするということ。確かに、力を知る程度ならばだらだらとチャンバラなぞせずとも、刃を交えることすら必要ないだろう。  ヤツもしたり顔で同義を語る凡骨とは一線を画す程度には強い。もしかしたら――それを考えると、久しく忘れていた熱が込み上がる。 「いいだろう」  哄笑の残滓が冷めやぬままに刀を無造作に肩に載せる。二刀は要らぬ。ソードに背を向け、一足一刀までのんびりと距離を取る。そして振り向くと刀の切っ先を下げ、正眼に構えた。ただ一撃を食らわせるだけのこと――気負うことなどありはしない。今の吾はこの無銘であるからだ。 「やれるだけやってみろ。或いはこの身に届くかもしれんぞ?」  挑発して、ソードの顔を見る。やはり、応えるように小童は恐怖と愉悦を両立した特有の顔をしていた。 「届けばの御の字。だけど、やるからには届かせてみせるぜ。」  そう告げて握り締めた右手を、左手の平へと当てる。そこから剣を引きぬくように右手を抜けば、黒い刀身に微かな銀の装飾が入った片手剣が現れる。それが魔力を秘めた剣である事は明らかだ。間違いなく尋常ならざる魔剣の一つ。そして―― 「全力の本気なら、こいつじゃねぇとな。なんせ、俺の半身みたいな特別な奴だ。…普通なら武器を選ばず行きたいところだけど、今回はな」  どうやら、ソードにとって特別な剣でもあるらしい。普段なら普通の何の変哲もない剣で戦うのを常としているようだが、今回は別だと判断したか。まあ、全力の本気となれば何よりも普通の剣では自壊する、ということだろう。神でなく、武芸者としての一面を色濃く出した今の吾にはその正体を見当てる千里眼はない。どのみち、どんな剣だろうが鉄の延べ板でないならば同じこと。  両手でしっかりと剣を握り締め、肩の高さへ。剣先を前へと向ける。あれは、霞の構え。ああ、なるほど刺突か。まさか小細工を弄するなんてことはないだろう?  一息つく。同時にソードの気迫…剣気ともいうべき気配が濃くなった。我を見よ、そしてこの力を。そう、主張するかのような剣気は場を支配するかのように広がってゆく。殺界、とでも言うべきか。剣を道具として扱う吾との違いだ。……だが、そんなことはどうでもいいだろう。  月が、雲に、隠れた。そして風がなびき、世界が静寂の闇に沈む。 「………」 「………」  人の音はない。あるのは風と揺れるススキが擦れる自然の音のみ。 「………」 「………」  雲が流れる。そして、再び辺りを月明りが照らし、失われた光が再び訪れたその瞬間。止まった時間が動きだし、影が、舞った。 「スラスト・エッジ/アブソリュート!!」  それは刹那。一瞬と言う言葉ですら遅く感じる時の極地。余人であれば瞬きをするころには全てが終わり、さらにおつりがくるほどの瞬間の中の瞬間の出来事だ。   両者の剣は、最初に気と同様に対照的なものだった。  吾の放つ剣は、ただの一撃。特に何も考えず、込めず、数多の斬り方を一つに込めただけの首を断つ一撃だ。恐らく傍から見れば無我だと思われていようが、それは違う。剣が何かを思うか?技が何かを語るか?そういう程度のことでしかない。  対するソードの一撃は単一とも言える物だった。そこに複雑な物は一切ない。  ただ一つ、純粋に相手を打つと言う一つの目的を果たすべく、そこに全てを集中する。一点集中突破、猪突猛進とすら言える純粋な一撃。しかし、自分の持つ速さと力と技と心の全てを集約させた技術の全てを徹底的に突き詰め、渾身の思いをも込めた、有我にして単一の一撃。  影が交錯し、二人の距離は遠く離れる。1秒か、それとも2秒か。決着の瞬間までは、肉体というものは傷を認識しない。……だが、吾はわかっていた。勝者が誰なのかを。  無銘の刀にヒビが入り、砕け散って風にさらわれてゆく。  と同時に、両者共に赤い血しぶきが上がる。ソードは剣を地面に刺し手倒れこむのを抑えるが、その場に膝を付く。スズカ御前の方は高く結い上げていた髪をまとめる紐が切断され、一気に広がる。  やれやれ、髪を切られなかっただけ良しとするか。  一見すれば、この勝負はソードの方が負けているようにも見えただろう。だが実際はその逆だ。 刀をおられ、臓腑を抉られ――これが敗北でないとするならば、なんだ? 「――無間を越えた、か」  痛い。熱い。自らの肉体から多くのものが失われ、急激に紅いモノが脇腹から流れ出てゆく。生命であるように熱い鮮血を押し止めるように手を添えてみても、留まることなどありはしない。  ああ、だがこの多幸感は良いものだ。ここまでやった相手などどれほどいたものか。……この爽やかさ、思い出す。遥か昔、吾を打ち倒した『あの男』のことを。  無銘の刀はソードの身を確かに斬り裂いた。本来ならば防ぐことも躱すこともできぬその一撃は、当たれば彼を死んだことにも気づかぬままに黄泉国へと叩き込んでいたことだろう。だが、深手とはいえ命に別状はなく、その身に刻まれた一撃は肉と骨を纏めて斬り裂いただけに留まっている。神と人との戦いにおいて、これは大金星といえよう。吾の神威を前にして、命をつなぎとめた。それどころか剣を届かせた。これを快挙といわずなんと言おう。 「…へっ、どんなもんよ」  剣に寄りかかって項垂れたままではあるが、確かに口元には笑みが浮かんでいた。その言葉には身に余るほどの歓喜の色がある。  真っ赤に染まったその手の指先を舌でなぞり、戦いの残滓をもう少し味わい――ソードの方へ振り向く。試練に克つ者には、相応の褒美が必要だろう? 「小童、貴様にコレをくれてやる。面白いモノを見せてもらった礼だ」 「んあ…?」  差し出された血塗れの残骸を受け取れば、瞬く間に斬られた傷が塞がっていく。その変化にソードは目を丸くする。  無銘とは何も持たぬがゆえに何にも染まる。吾は元より天女、その血が如何ほどの力を持つかは語るまでもあるまいよ。 「せいぜい喜ぶがいい。お前はこのスズカ神に打ち勝ったのだからな」  砕けた刀。だが、それはただ傷を癒すために渡したのではない。印だ。武芸の神であるスズカ御前に刃を見事届かせた証であり、誉の証明。無数に広がる世界の中でも、これを授かるに価する者はそうはいるまい。 「…は、ははは。打ち勝ったと言うか、競り勝てたと言うか。でも、今回みたいなルールじゃなかったら、やっぱり此処まで上手くやれる気はしねぇな」  苦笑しながらソードが答える。一合だからこそ、そこに全力を注ぎ込む事が出来た、ということか。これが普通の死合なら吾はイカサマを行っていたろうし、そうでなくともトドメをさせばよい。  愚策……と客観的に言えばそうだろう。だがその愚かしさは賢しさよりはいい。頭がいいつもりの人間なら、そもそも吾に刃向かう気骨すら持つはずもない。 「でも…確かに見せてもらったぜ、あんたの全力の本気って奴。んだよあれ。相当出来る奴でも発狂しかねない奴じゃないか」 「ハッ、あんなのどう斬ってやろうかと考えていただけだ。あの程度に錯乱しているようでは、遊び相手にもなれんぞ」  腰抜けに用はない、と語る吾を見る顔は事後の畏怖がある。可笑しいものだ、望みの本気を見てから怖がるなどな。 「だがその点で言えばお前は及第点だ。ビビって死ぬような腰抜けじゃないことがわかったからな」 「そりゃあ、あれだ。俺は、ただあんたに剣を届かせる事しか考えてなかったからな。」  なるほど、とその答えに合点する。剣を届かせる。その一点に全ての意識を集中していたから、相手のそれに飲まれなかった。集中しすぎて周りが一切見えていなかった。だからこそ耐えられた――というより気づいてなかったのだ。呑まれ、無様に死んでゆくこともなかったのはそれゆえか。 「ふん。だが、勝ちは勝ちだ。武の神に刃を届かせたことは誉とするがいい それに、だ。前にも貴様に言っただろう。お前はまだまだ上を目指せると。ゆくゆくは吾の相手では役不足となることを期待してるぞ?」  この男なら、いずれは――そんな期待が首をもたげる。黄泉の国への番人というのは退屈なもの、極点すら超えた地平へと辿り着くことができるならば、吾の退屈を殺す者になりうるだろう。 「あぁ、自慢話にさせてもらうともさ。最も、信じてくれる奴はそうそういないだろうけどな。……そいつは、いつの話になる事やらだぜ」  一太刀入れて一撃勝負で打ち勝ったとはいえ、まだまだその壁は高い。もちろん目標にはするつもりで、これからも精進するつもりではある。何よりも上を目指せるとわかっただけでも儲けものだ。だが果たして、相手の極地に並ぶまでにどれだけの時間が必要なのやら。  ……遠い目をするソードはそんなことを考えているだろうが、だからお前はアホなのだ。 「時間などいくらでもある。100年先になろうが待っていてやろう」  神は時間のしがらみのない存在なのだ。待ち時間などいくらでもある。昨日と変わらぬ明日を過ごす、永久なる生。暇を潰す静音な日々に新たな楽しみが増えるなら、待つことなど苦ではない。  吾がそう語ると、ソードの纏う気に灯火が浮かぶ。ならばいつか必ず叶えてみせよう。待たせることにはなるが、果たせない約束には絶対にしない。……そんなところか。この遊びに終わりはない。剣を持つならいくつになってもチャンバラは好きだろう? 「で、気分はどうだ?」 「最っ高だったぜ」  即答。ああ、わかりきっていた問だった。 「だったら、その最高を塗り替える遊びを提供してもらう。いつであろうと吾は逃げも隠れもしない」 「おうとも。まぁ、今回みたいなのは早々無理でも、手合わせとかでも充分やる意味はあると思うから、またやろうぜ。次は、もうちょい安全枠でな」  命は確かに惜しかろう。だが、吾の力を前にして折れぬ心意気は買いだ。笑顔で語る小童に後ろ暗いことはない。 「ふ、ならばその時は軽く遊んでやる。だが、本気で来なければ死ぬぞ?」 「あんた相手に本気でいかずにどうやって、やりあうんだよ…」  ハ、と冗談だと笑う。当然ながら吾は相手を半殺しにしてやらねば楽しめん。うっかり力の加減を間違えて殺してしまうかもしれんが、それくらいでなくては遊びとは言えない。果たして、いつそれが逆転するかな?それを思えば楽しいものだ。 ―――――――――――――――――――――  雲ひとつない夜空は漆黒に宝石細工を散らしたような星を輝かせている。重々しく頭を垂れ、耳触りの良い音を響かせる葉擦れの音がただ広がる。  小童を送り返した後、ここにいるは吾ひとり。空を見上げ、髪を揺らす風の心地よさに目を細めた。肉体の再構築は済んだが、心地よい痛みが吾を楽しませる。 「………………」  あの目……思い出す。もはや記憶の彼方か。吾が神でなく、日ノ本を魔国へ変える使命を帯びていた頃に出会った、あの男のことを。何処までも真っ直ぐで、バカ正直で、そして愚かな男だ。無論、似ているところなどほとんどありはしない。だが、あの目を見ると―― 「タムラマロ。……お前と同類のバカも、意外といるものだな」  はふ、と音が漏れる。ああ、楽しみだとも。吾からすればまだまだヒヨコだが、その大翼を広げる時は最高、或いは最悪のひとときを過ごせるだろう。吾に刃向かえ。そして、吾を楽しませてみろ。そしてやがては――