「……で、なんでボクの陣に赤ん坊を連れてきたんだ?」  赤ん坊をあやすトウタを前に、困惑する美丈夫がひとり。目の前のマスラオと対を成すかのような痩身でこそあるが、けしてひ弱ではないしなやかな肉体だ。一瞥するだけで婦人を惑わせるような、妖しげな色気を持つ切れ長の瞳は今はちょっとげんなりしていた。  彼はタイラノマサカド。トウタの友人であり、貴族武者ヘイケ一門有数の武将。軍勢を率いて、各地の妖魔を討ち倒し、末路わぬ民に手を差し伸べて居場所を与えることを基本とする男だ。今はゴザを敷き、旅の最中に軍勢を休ませているところである。 「いやあ、お前去年娘生まれただろ?どんな風に育てるつもりか聞こうと思ってな」  スヤスヤと眠る赤ん坊をゆすって優しくあやすと、寝息がもっと安らいだものになった。 「それ以前にその子、どこからさらってきたんだ?酔っ払って連れてきたのなら親元に返してやれよ、ボクも謝ってやるから」 「いやいや、そんなことしてねえよ!この娘っ子を拾ったのはだなぁ……」  回想入りまーす 「ううむ、たしかこのあたりから聞こえたはずだが……」  大ムカデを倒し、帰路につくトウタはふと何かの声を聞いて道を外れた茂みを掻き分けて進んでいた。実際になにか聞こえたわけじゃない。だが、声ではない声が、聞こえた気がする。  勘で何かを探すトウタはやがて、違和感の正体を見つける。何かから隠すように神聖な何かが姿隠しの結界で封をしたような、蓮の連なった水たまりだ。何気なく蓮をどかし、手を突っ込んでみると何かがいた。 「……ん?なんと、赤子ではないか!」  水の中から引き上げたるは羽衣に包まれた赤子だ。大木のように太い腕の中に感じる弱々しい感触に驚きながら、ぐずる赤ん坊を不器用なりにあやしてゆく。 「よしよし、何故こんな所に捨てられていたんじゃ?親は……おらぬか。捨て子にしちゃ大事に隠してあったあたり、ワケありのようだが」  だぁだぁ、と無邪気な声と共にトウタの頬に触れる小さな感触。思わず破顔してよしよし、とおどけていると不意に羽衣に挟まれた名札に気づく。 「むう、キヨヒメか。なかなかカワイイ名前ではないか。よし、気が変わった!儂が育ててやろう」  わーはっはっは、と笑いながらトウタな宿場に帰っていった。得意絶頂の彼は特に先のことは考えていなかった…… 「というわけじゃ」 「ああなるほど……って君じゃ育てるの無理だろ、里親探したほうがいい」  即座にかけられた否定の言葉に異性よく身を乗り出した! 「あぁん!?何故そうなるんだ、お前って子供多そうだし子育てを習いに来たんだぞ、甲斐性の塊」  乗り出した頭を右手で押し返し、半目で見返しながらマサカドは首を横に振る。 「そんなこと言ってキミ昔からカブトムシ一匹満足に育てられなかっただろ。というか、確かに妾はいるけど子沢山は偏見だ!」  そればっかりはマサカド的に心外……なのだが、否定しきれない。妻と妾、どちらも等しく愛しているのでこの先子沢山になることも十分あり得るのだ。とはいえ今はまだまだビギナーお父さん、育児の相談に乗れるほど経験値はない。 「いいじゃねえかよー、儂も嫁さんもらっちゃいねえけど子供のひとりくらい育てたいんだよー、いいだろー?」 「尻にしかれとけよ独身男」 「あいや、さすがにそういうシュミは……」 『ぁーぁー てすてす てすてす』  ボコン、と何かをぶつけたような音が二人の脳裏に響く。次いで、キィィンとちょっと耳障りな音と共に涼やかな声が紡がれる。 『トウタ……トウタ……託すのであればスワ大社に託すのです…… 「よし、では明日スワ大社に出立するか!」  うん、とトウタの言葉にマサカドも同意する。渡りに船、とはこのことだ。 「確かに、以前からタケミナカタ様のご夫妻が子供を欲しがっていたね。僕らは多かれ少なかれ恨みを買っているし、いっそ神社に託すのはなかなか良い選択かもしれない」  話は決まりだな、と男達の間で腹が決まった時、再び声が響いてくる。 『トウタ……トウタ……聞こえますか?ついでに焼きそばパンも買ってくるのです……』 「よし!焼きそばパンって何処に売ってるんじゃ?」 「パシられてんじゃねーか!陣内で売ってるよ、人気だからな!」 ―――――――――  翌日、トウタは無人販売所をうろついていた。キヨヒメを背負い、マサカドに強制的に持たされたでんでん太鼓であやしながら舶来品が置かれたコーナーを歩いてゆく。 「むう、この焼きそばパンとやらは高いな。こっちのアンパンはその半額か……」  首を傾げる。この世界、フソウにおいて洋食の類は割とお高いのだ。供給が少ないというのと、舶来品は物珍しさで値段が上がる傾向にある。とはいえバカみたいに高いというわけではないが、それでもお財布には割と痛い。 「お、このコッペパンというのはさらに3分の2の値段か。うむ、形も似ておるしこれでよい!パンであることに違いはないし問題もなかろう!」  よし!とトウタはコッペパンをそのまま大人買いし、包んでもらいつつ厩へと向かう。すっかり寝入った赤ん坊の方を見やり、優しい笑みを浮かべた。  うーむ、いい馬じゃ。馬刺しにしたらさぞ美味いだろうなァ。……いやまあ、それをやったらマサカドに半殺しにされるな、うむ  馬鹿な考えを振り払うとマサカドの愛馬に飛び乗り、陣を抜けた彼は野を駆ける。一夜にして千里を駆け抜ける駿馬は風よりも早く、トウタの逞しい肉体をものともしない走りぶりであった。  そして、そこからは緩やかな時が過ぎてゆく。戦神タケミナカタと旅神ヤサカトメを祀るスワ神社に預けられたキヨヒメは姉代わりの巫女達に囲まれ、祀神夫妻に愛情たっぷりに育てられ、すくすくと成長を重ねてゆく。見習い巫女として奉納演武の為に薙刀を習い、マサカドの娘と出会い因縁つけられたりと平凡な人生を歩んでいるのだ。  時空を歪め天地を震撼させるSUMOUを巫女達と観戦したりというようなおかしい場面もあるにはあるが、まあ平凡だ。  転機が訪れたのは、彼女が齢8つになった頃。  スズカ山に出張し、巫女としての仕事を終え、何気なく山道を歩いていたキヨヒメは知らぬ知らぬの内に人の世界を越えてしまっていたのだ。進むごとにかかる黄金色の霧、進めば進むほどに消えてゆく人の道。小さな巫女は引き返すことはせず、何かに突き動かされるように山林を抜けていった。  ――そして、彼女が辿り着いたのは、この世ならざる場所であった。黄金の叢雲と夜明けの光が全てを照らし、山ではありえぬ光景が広がっていたのだ。流れゆく清流にかけられるは宝石細工で飾られた擬宝珠高欄の緋色の橋。点在する池の周辺にて幻想的な花々の前で蝶が戯れ、地面を構成する白砂には砂金らしきものが星のように煌めいていた。彼方には固く閉ざされた強固な門が置かれており、まるでこの世の最果てという言葉がそのまま似合う空気を放っていた。  そして、門と童女の合間に佇む唯一の建築物。堀に囲まれた武家屋敷はそれは見事なもので、財宝をふんだんに使用してそれそのものが芸術品となっていた。現世ならば成金趣味として周囲から浮くだろうが、空気からして違う絵物語のようなこの空間では当たり前のように佇むのみ、だ。  人ならざる世界に足を踏み入れた巫女は、恐る恐る足を踏み出した。砂を踏むとリリン、と軽やかで心を和ませる音色が響く。二歩、三歩……彼女が花園に近づいた時、静かな声が響く。 「……ほう、結界を抜け自らこの地に来るとは珍しいヤツもいたものだ」  声の主は白蛇。赤い瞳でキヨヒメを見据え、茂みからスルスルと這い出してきた。大きさは通常の蛇程度ではあるが、その場にいるだけで空気を塗り替える存在感を放っていた。 「獣や小鬼共に食われぬあたり、なかなか運もあるようだが……ここは人が来るべき場所ではないとは思わなかったのか?」  白蛇の問に、キヨヒメは否、と答える。 「……クク 面白い。ここが何処か知ってなお、来たというのか。……童、貴様の望みはなんだ?」  キヨヒメは何かを答える。蛇は目を細め、喉を鳴らす。 「ふん、武術を習いたい、と。その歳でこの道に入るつもりとは、なんとまあ無謀なガキだ」  白蛇はスルスルと這い出すと、橋の方へと移動し始めた。キヨヒメも釣られて橋へと歩き出す。 「――いいだろう、そのまま橋を渡り屋敷に来い。お前の望みを叶えてやろう」  ……不意に、館に近づいたその瞬間に白蛇の動きが止まる。 「「だが、忘れるな」」  ――二つの声が、重なる。白蛇は輝きに包まれ、人間のシルエットを作り出す。輝く何者かに、キヨヒメはただただ圧倒された。 「吾の前に立つならば、何人であれ死なねばならんということをな」  そこからの日々は、修行の日々。荒野に放り出されるセフィのような過酷さではけしてないだろうが、起きている間は山の中でスズカ御前に厳しく技を叩き込まれ、寝れば夢の中で殺しにかかられる。神の前では時は意味を失い眠りさえも安寧にはならない。  それは修行……というよりは、死の恐怖を常に味わいながらも生を見出し、死人となって神に挑み続ける死闘の螺旋。死ぬならば殺す。殺さねば殺される。全ての技が通用しなくても、戦わねばならぬ。そして身につけた技で夢魔を倒し、精神が擦り切れるようなギリギリで立ち続ける日々を過ごす。 「師匠。……教えて下さり、ありがとうございました」 「バカ言うなヒヨコが。お前如きが一人前を気取るのは十年早いわ」  やがて、下山した彼女の手にはササメユキが握られていた。そこからの日々は、まあいつも知るキヨヒメだ。マサカドの娘にライバル心を抱かれ、幾度となく試合をしては紙一重で勝利したり、巫女としての仕事をしに神社に戻ったり、リュウグウ城に招かれオトヒメという名の神姫と謁見し、援助の上で父母が遺した都に建つ武家屋敷で一人暮らしをしたりと様々だ。三メートルはあろうかという鬼にさらわれて苦笑いしながら酌をする姿、トウタに腹いっぱいの飯をお見舞いされる姿、騒がしいフソウの日々が垣間見える。  やがて時空の狭間にある古代樹の聖域に迷い込み、そこから辿り着いた神隠しの森の館でセフィと試合をして一目置かれたり、段々と今に至り始める。そしてこのキヨヒメ、オルーサとかのことについて案外深入りしてない案件が多い。安定した腕の彼女ではあるが、それでも皆が知らぬタイミングで神隠しにあってはスズカ師匠に稽古がてら叩きのめされている……  どうも結構大変な日々を送っているが、なんだかんだ楽しそうである。