【世界の成り立ち】
魔法とは何か?魔法には魔術師が使う魔法もあれば、精霊使いが精霊に呼びかけて使用される精霊魔法や、神に奇跡を祈願する神聖魔法と言うものもある。
より視野を広げて細かく見ていけば、魔法の種類は膨大な量になるだろう。
竜言語魔法、神聖魔術、古代語魔法、ルーン魔法、召還魔法と、実に種類は豊富だ。
魔法の根源とは何だろうか?
この世界で我々がどのように成り立っているのかを理解すれば、いくらか理解の助けになるかもしれない。
宗教の聖典では、全能なる神がまず光をお作りになり、それから、あらゆるものが創造された。
また、ある神話では始原の巨人の屍骸からそれぞれ天地が作られた。
真実はどうなのかという話は置いておこう。
我々が考えたいのは魔法についてだ。
【精神と魔法】
ところで、我々は…人間、エルフ、ドワーフ、フェアリー、亜人などといった、知的生命体と言うべき存在は、非常に精神的な存在ではないだろうか?
考えたり、感じたり、決定したり、選択したりしている。
我々はプログラム通りには動かず、また、習性にも支配されない。
例えば、ある国のある民族だからこのように食事するのだと、そのような常識が通用する場合が多いにせよ、そのとある国のとある民族の者が外国暮らしが長くなったとすれば、その国の生活習慣に合わせて自らを変えるだろう。
また、信ずる宗教だとか、座右の銘と思想だとか、そういうものによってもその人物は変わる。
生活が変わり、言動が変わり、姿さえもその結果、変わってしまうだろう。
我々の信ずる魔法学ではこのように考える。
我々は精神的な存在であり、この宇宙も精神的なものである。
神の精神が世界を創造し、我々の精神はその世界の創造に関わっている。
我々は物質の世界だけの存在ではなく、精神の世界の住人でもあると言うことだ。
さらに言えば、目の前にある物質的環境さえも、窓から見える樹木、暖炉とその中で燃えている炎、とんでいる蝿、料理をしている妻が振るっている包丁の音、目の前のグラスとそれに注がれた水、どれも全て、精神的な存在だとしたら?
全てが精神の存在であり、我々の精神の在り方と物質の世界の在り方が関係しているとすれば?
すなわち、それを思い通りに操作するのが魔術と呼ばれるものだ。
もちろん、様々な制約はあるのだが。
【思いの力と言葉の力】
聞いたことがあるだろうか?ワード・オブ・パワー(言葉は力なり)という言葉を。
耳にしたことがあるだろうか?言霊の話を。
言葉には上思議な力があると言う。
我々が話すとき、大気が振動する。
風の元素、風のエレメンタルが音を伝達し、聞き手の耳に届いて理解される。
この振動は精神も振動させる。
先ほどの聖典の神も「光あれ《と言う言葉によって光を創造した。
最も、実際に「光あれ《と言ったわけではなく、神にしか言えない言語か何かを使用したのではないかと思うが。
何にせよ、言葉には力があり、大気を振動させると同時に、我々の精神も振動させる。
あなたは精霊の存在を信じるだろうか?
万物に宿る元素の運行を司るエレメンタルたちを見たことがあるだろうか?
神や聖霊はどうだろう?常に神が我々と共にあるとしたら?守護天使が常に人間たちの背後に控えているのが本当だとしたら?
だが、もっとも重大なことを思い出してもらうとすれば、宇宙が精神的であるとすれば?
言葉が精神を振動させるということの重大さがわかるだろうか?
この世界を振動させるということを意味していることがわかってもらえただろうか?
(もちろん、世界をひっくり返すにはたかが人間一人の振動ではひっくり返すことはできないだろうが。)
だが、強い力を持つ言葉を発したとき、何が起こるか?
もし、光の球で暗闇を照らしたいときに、それを望み、それを言葉にしたときに、
それは現れはしないだろうか?
魔法使いの修行の一つはそのような現象を起こせる十分な精神力を鍛えるものだ。
訓練することで魔法を操る精神を鍛え、物理法則ではありえない現象を起こす。
ところで、言葉を唱えるだけでも意味はあるが、そこに思いが伴うと強い。
そもそも、言葉とは思いを物質レベルまで落として意志を伝達するためのものだ。
思いだけで意志を伝達できるのであれば、言葉は上要なのだ。
つまるところ、本質に近いのは言葉ではなく思いである。
しかし、言葉は物質世界に影響を及ぼす道具であり、その道具を正しく使う、すなわち、思いが道具に宿れば、強い力を発揮する。
よって、魔術師は精神を鍛えると共に、知識も習得する。
魔法とは何なのか?この世界は何によって成り立っているのか?自然界にはどのような現象が存在するのか?どのような生命が生活しているのか?
学ぶことは想像力を養うことにも繋がるし、思考を刺激するし、物事の原理を理解することが出来る。
自分がやっていること、やろうとしていることが何なのか?
それをよく理解しているものが発する言葉は力強い。
例えば、戦争を書物で理解した学者は体系的に整理して戦争を語れるかもしれない。
だが、退役軍人が思い出を語るときの凄まじさと比較したとき、どちらが力に溢れていると言えるだろうか?
他人の指示に従うだけの人間の仕事と、その他人と気持ちを一つにし、その指示がどのような影響を持つのか正しく理解した人間の仕事とではどのような質の違いがあるだろうか?
宇宙の秘密を理解した魔術師は想像力と思考力のままに、様々な現象を起こす。(もちろん、コスト、リスク、制約は色々である。)
(蛇足だがある神官は神を降臨させるのに、一人の聖女を生贄に捧げようとした。もちろん、その神は邪神である。)
【宇宙は精神的である事の魔術的意味】
我々は精神的存在で、宇宙も精神的なものである。
そして、我々は思いと言葉を用いて…時には他の補助手段を用いて、精神に働きかける…宇宙の精神に働きかけるのだ。
魔法はそうやって使う。そのように使うのだ。
魔術とは宇宙の精神に働きかけることで、宇宙を変容させる術。
すなわち、精神変容の術こそが魔法なのだ。
我々は考えることで精神を変える。
言葉を話したり聞いたりしても変わる。
それを聞いてる自然界も宇宙も実は変わっている。
相応しい形で精神力を発揮する。もしくは精神に働きかける技法を使用すれば、
それは魔法となる。想像力が現実の力になる。
稲妻を飛ばし、目の前のテーブルを空中に浮かせ、悪者を金縛りにする。
物体を凍結させ、別の生き物に変身し、水中でも呼吸できるようにする。
病める人の精神と肉体を癒し、時には死者をも甦らせる。(悪い形の場合がほとんどだが…。)
宇宙は精神的である。
我々は精神的な存在である。
魔術は精神変容の技法である。
魔法とは宇宙の心を変えることで、現実を変える秘術である。